EPISODE 6Spider 1600 “Duetto”

− “Made in Italy” −Spider 1600 “Duetto”(1966)

1950年代より長らく人気を誇ったジュリエッタ スパイダーに、モデルチェンジの時が訪れたのは1966年のこと。ジュゼッペ・ルラーギは、ヒット作の後継は、単にプロダクトとして優れているだけでは不十分だと認識していた。カリスマ性を与えることも必要であると。そこでニューモデルの発表にふさわしい舞台を用意し、人々の記憶に残るような世代交代の“儀式”を目論んだ。

アルファ ロメオは、スパイダー 1600(Spider 1600)のローンチに際し、盛大なプランを実行した。プロジェクトは伊米合同で進められ、豪華クルーズ船を用意。エンターテインメントやスポーツ、ファッション界からそれぞれ特別ゲストを招待するという華やかなプランだった。イタリアの俳優ヴィットリオ・ガズマン、女優のロッセーラ・フォーク、ソプラノ歌手のアンナ・モッフォら、各界のセレブリティ約1,300人を乗せたイタリアのオーシャンライナー、SSラファエロは、ジェノヴァからニューヨークへと向かった。途中、映画祭が行われるカンヌに寄港。船のデッキには、緑、白、赤の3台の新型スパイダーがディスプレイされ、イタリア国旗トリコローレを彩るという演出が施された。これは“Made in Italy”であるスパイダーの存在を、人々の記憶に刻み込もうという計らいだった。

スパイダー1600は、“デュエット”の愛称でつとに知られている。ジュリアをベースに、ホイールベースを2250mmへと短縮したプラットフォームを採用。エンジンなどの基本コンポーネントもジュリアから受け継いだ。デビュー時には、1,570ccの4気筒ツインカムエンジンを搭載し、最高出力108hpを発生。車両重量は1,000kgを切る軽さで、最高速度は185km/hに到達した。

“デュエット(二重唱)”という愛称の背後には、有名なストーリーがある。車名の選定にあたり、ヨーロッパ中のディーラーと連携して公募を展開。これにより“デュエット”という名が選ばれた。ところがここで問題が発生する。すでに同じ名称の菓子製品が存在しており、権利問題が発生したのだ。結果的に、ニューモデルは「アルファ ロメオ スパイダー1600」として発表されることになった。ところが、“デュエット”の名はファンの記憶のなかに存在し続け、4世代にわたるアルフォ ロメオ スパイダー共通のニックネームとして浸透した。

スパイダーは、他にもいくつかのニックネームを持つ。ひとつは、1966年にバティスタ“ピニン”ファリーナによる最後の作となった、シリーズ1に付けられた“Osso di Seppia”(オッソ・ディ・セッピア:イタリア語で“イカの甲”)。丸みを帯びた楕円のフロント・リア形状と、低い車高からそう呼ばれた。1969年に登場したシリーズ2は“コーダ・トロンカ”。空力性能を向上させるためリアを切り落とした形状をコーダ・トロンカと呼ぶことから、その名がとられた。1983年に登場したシリーズ3は “エアロダイナミカ”。風洞実験で生み出されたボディであることに由来する。1989年に、原点回帰したクリーンな流線形フォルムをまとって登場したシリーズ4は、“IVセリエ”(シリーズIV)と呼ばれた。

アルファ ロメオ・スパイダーは、シリーズ1からシリーズ4までの4世代で累計12万4000台が生産された。モデルライフは28年間に及び、アルファ ロメオ史上最長を誇るモデルとなった。

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