アルファ ロメオのスポーティコンパクト、ジュニア。モダンかつ躍動感溢れるクロスオーバーのボディカラーには、ブランドの故郷ミラノにちなんだ名前がつけられている。その街区を実際に訪ねながら、それぞれの彩りを発見してみた。
1.ブレラ : ミラノの“モンマルトル”〈ボディカラー Brera Red〉
ブレラ地区は、ミラノ大聖堂から北西に徒歩で約10分に広がるエリア。中核をなすのはブレラ美術アカデミーである。ミラノ公国を支配していたオーストリアの啓蒙君主マリア・テレジアによって創設された1776年に歴史をさかのぼる名門だ。
絵画館、天文台、図書館、植物園といった文化施設も併設されている。そうした環境から、いつしかブレラは芸術家や知識人が集う地となり、“ミラノのモンマルトル”と呼ばれるようになった。石畳の小道には、彼らが愛した時代の面影を残すカフェやサロンが並ぶ。
20世紀イタリアを象徴する彫刻家で、ネオンなど工業製品を積極的に取り入れたことで知られるルーチョ・フォンターナもブレラ美術アカデミーの出身である。また現代イタリアを代表する建築家ミケーレ・デ・ルッキも、この地にスタジオを構えている。

▲ブレラ通り沿いの赤煉瓦の建物が「ブレラ絵画館」。ミラノを代表する美術の殿堂である。

▲アートを堪能した人々が、絵画館前のバールで芸術談義に花を咲かせる。
「ブレラ」と「赤」に思いを馳せれば、真っ先に思い出すのは2004年にコンセプトカーが世界的デザイン賞「コンパッソ・ドーロ」を受賞した「アルファ ロメオ ブレラ」だ。同車のネーミングは、この知的かつ歴史的な街区にちなんでいる。同時に、その情熱的なレッドのボディカラーはファンの記憶に今も刻まれている。
毎年4月のミラノ・デザインウィークは、郊外ロー(Rho)のメッセで開催される国際家具見本市と、市街で展開される「フォーリサローネ(Fuorisalone=展示会の外)」の2本立てである。ブレラは後者で最も活況を呈する街区のひとつだ。期間中は200以上のショップやデザイナーが、自社や自身のアイデンティティを表現すべくインスタレーションを展開する。その季節、街路に無数にはためく名物といえばBrera Design Districtと記された赤いフラッグだ。これも今やブレラの赤といえる。アルファ ロメオ ジュニアの赤がブレラ レッドと名づけられているのを知ったイタリアの人々のなかは、その風景を思い浮かべる人も少なくないだろう。

▲ブレラ地区にはさまざまなジャンルのショールームが軒を連ねる。デザインウィーク期間中は「ブレラ・デザイン・ディストリクト」と冠したサテライトイベントが催される。
2.ナヴィーリ : 恋人たちを癒やす水の表情 〈ボディカラー Navigli Blue〉
Navigliとは船が航行できる運河のこと。ミラノのナヴィーリは1179年、スイス南部のティチーノ川から水を引いたことに始まる。1482年にはスフォルツァ家の当主ルドヴィーコ・マリーア・スフォルツァの命を受けたレオナルド・ダ・ヴィンチが水位の調整装置を考案。以後もナヴィーリは人や物資の輸送、そして灌漑用に活用された。
その後、市電といった地上交通手段の普及にともなって役割を失い、一部は埋め立てられてしまった。しかし近年、地下鉄M2号線ポルタ・ジェノヴァ駅近くの運河、ナヴィリオ・グランデは古き佳きミラノの趣が評価され、街でもっとも魅力的な住宅地のひとつに生まれ変わっている。イタリアのテレビドラマにおける定番ロケ地となってからも久しい。

▲ナヴィリオ・グランデはトレンディなスポットに。運河沿いにカフェやレストランが並び、黄昏時にはアペリティーヴォ(食前酒)を楽しむ人々で賑わう。

▲通りの石版に刻まれた「Alzaia(アルザイア)」とは、運河沿いにある牽引用の小道のこと。昔、人馬が岸からロープで船を引いて進ませるときに用いた道であったことを物語る。
毎月最終日曜日に開かれる骨董市には、オリベッティのタイプライター、60-80年代感覚のサングラス、そして古着などの屋台が立ち並び、巡っているとつい時間を忘れてしまう。
運河は、大都市の中央と思えないほど澄み、魚たちが悠々と泳いでいる。時間によって青にも緑にも映る水面(みなも)は、アルファ ロメオ ジュニアのボディカラーで、その名も「ナヴィーリ ブルー」を思い出させるに十分だ。夕刻そのせせらぎは、カフェやリストランテの灯をロマンティックに映し始める。古い橋の欄干に、恋人たちが永遠の愛を願って南京錠を残す理由がわかってくる。食前酒やディナーを楽しむ人々が乾杯するグラスの音は、夜遅くまで響き続ける。

▲ナヴィリオ・グランデは、遅めの朝食を楽しむミラネーゼや観光客にも格好のスポットである。

▲陽気な声で会話する若者たち。洋服やアクセサリーの屋台、カフェでテーブルの間を巡る花売り…映画撮影所に迷い込んだかと錯覚するような風景だ。
3.アレーゼ : ブランド約束の地 〈ボディカラー Arese Grey〉
ミラノ市街から北に12キロメートル、アレーゼ。アルファ ロメオのヒストリーを語るうえで欠かせない土地だ。
1950年代後半、イタリアはミラーコロ(奇跡)といわれる経済成長を果たした。アルファ ロメオも増産を計画。ミラノ市街のポルテッロ工場は次第に手狭になっていった。そこで首脳部は200万平方メートルにおよぶ大規模な新工場建設を1956年に決定する。そのとき選ばれたのがアレーゼだったのだ。
1963年に稼働したアレーゼ本社工場は、「ジュリアGT」「ジュリア」そして「アルフェッタ」など、ヒット作を次々と送り出していった。

▲アルファ ロメオがアレーゼに移転した際、敷地の一角に建造された技術開発センター棟。イグナツィオ・ガルデッラの設計による。

▲往年のアレーゼ工場ファクトリー・フォトから。初代ジュリアの生産ライン。photo: Stellantis
1976年には「アルファ ロメオ・ミュージアム」もオープン。今日でも世界のアルフィスタたちが一度は訪れたいと願う、憧れの博物館だ。
そのアレーゼは近年ダイナミックに変貌を遂げている。2016年には前述のミケーレ・デ・ルッキ設計によるイタリア最大のショッピングモール「イル・チェントロ」がオープン。隣には、イタリア自動車クラブ(ACI)による安全運転啓蒙用のサーキットも完成している。
アルファ ロメオ ジュニアのカラーバリエーション「アレーゼ グレー」は、ヘヴィ・インダストリー発展の一翼を担った街の歴史を感じさせる。

▲ミラノから北へアウトストラーダ(高速道路)A8号線を走っていると、「アルファ ロメオ・ミュージアム」が見えてくる。

▲ミュージアムは約270台を収蔵。手前はジョルジェット・ジウジアーロによる1969年のコンセプトカー「イグアナ」。その奥はベルトーネによる1968年「カラボ」。
4.トルトーナ : 工場街が創造の基地に変貌〈ボディカラー Tortona Black〉
デザインウィーク中にブレラと並んでフォーリサローネの中心的舞台となるのは、南西部ポルタ・ジェノヴァ駅周辺から西に広がるトルトーナ地区だ。

▲毎年開催されるデザインの祭典「ミラノ・デザインウィーク」。トルトーナは市内随一のデザイン街区として知られる。
ただし、最初からクリエイティヴなディストリクトだったわけではない。19世紀から20世紀にかけては典型的な工業地帯で、多くの工場が立ち並んでいた。
やがて1970〜80年代には、多くの企業が広い土地を求めて郊外に移転しまったため、トルトーナは廃墟が目立つようになってしまった。そうした空間にすかさず目をつけたのは、アーティストたちだった。フォトグラファー、クリエイター、そしてデザイナーを職業とする彼らによって、1990年代後半から2000年代にかけてスタジオが続々と誕生した。

▲デザインウィーク期間中は常設ショールームやスタジオのみならず、倉庫なども活用。展示が夜遅くまで続く。
近年はファッションブランド、広告代理店、スタートアップ企業もトルトーナを選ぶように。瀟洒なホテルも姿を現した。2015年には、あのジョルジョ・アルマーニもデザイナー活動40周年を記念して、トルトーナの元・穀物倉庫敷地に恒久的ショールーム「アルマーニ・シーロス」をオープンした。
その傍らで狭い路地のそのまた奥には、企業が発売前の新製品をクライアントに内覧させる極めてプロ向けショールームもあったりする。かくもトルトーナはミラノにおける創造と実験の心臓的役割を果たしている。アルファ ロメオ ジュニアの黒いボディカラー「トルトーナ ブラック」は、そうした情報発信街区の雰囲気を十分に匂わせている。

▲デザインウィーク参加企業がオーガナイズするナイトスポットには、周囲のクリエイターたちが集う。
5.ブランドの故郷 センピオーネ〈ボディカラー Sempione White〉
ミラノ市内の面積は東京23区のおよそ3分の1以下とコンパクトだ。センピオーネ地区は、その中心に位置するエリアである。市民のオアシスである、その名もセンピオーネ公園は、東京ドーム約10個分の47万平方メートルを誇る。
公園は14世紀に起源をさかのぼるスフォルツェスコ城の要塞跡に、19世紀になってつくられた。実はこの城、アルファ ロメオと縁が深い。ブランド草創期の技術者ジュゼッペ・メロージの親友だった青年イラストレーター、ロマーノ・カッターネオが城の前で市電を待っていたときのこと。入口にある「フィラレーテ塔」に、ふと目が止まった。そこには13世紀にミラノ支配を確立したヴィスコンティ家の紋章・ビショーネ(人を飲み込む蛇)が描かれていた。カッターネオはそれを基にしたロゴをメロージに提案。かくして今日まで続くアルファ ロメオのエンブレムの重要なエレメントになったのである。

▲スフォルツェスコ城。中世貴族ヴィスコンティ家の居城を、15世紀にミラノを統治したスフォルツァ家が改築、城塞としたものである。

▲フィラレーテ塔に描かれたヴィスコンティ家の家紋「ビショーネ」。これぞアルファ ロメオのエンブレムの着想源となった。
公園から延びるコルソ・センピオーネを歩いてゆくと、やがて現れるのが「平和の門」だ。
ミラノがナポレオンによるイタリア王国の首都だった1807年に歴史を遡る建造物である。ピエモンテ地方クレヴォラドッソラで採掘され運ばれた大理石は、アルファ ロメオ ジュニアのボディカラー、センピオーネ ホワイトを連想させる。

▲センピオーネ公園にある「平和の門(アルコ・デッラ・パーチェ)」。当初ナポレオンの軍事的成功を記念して「勝利の門」として計画されたが、完成時に改名された。Photo: © OlyaSolodenko / iStock
公園の一角にあるトリエンナーレ・デザイン美術館は、20世紀に世界を牽引したイタリア工業デザインを記念するとともに、国際的展示・交流拠点としてその名を知られている。

▲アート、デザイン、建築、ファッションの展示会が行われる「トリエンナーレ・デザイン美術館」。3年に一度開催される国際美術展覧会の会場でもある。
センピオーネ公園の北西には、先に記したアレーゼとともにアルファ ロメオ史に欠かせない地区がある。ポルテッロだ。1910年にアルファ ロメオの前身「A.L.F.A.」の工房が開設されて以来、1963年に前述のアレーゼに本社が移転するまで、ブランドの本拠地だった。アルファ ロメオの発展にともない、その車体を製造する「トゥリング・スーペルレッジェーラ」「ザガート」といったカロッツェリア文化が開花したのも忘れてはならない。

▲アルファロメオの前身A.L.F.A.の工場。1910年。 Photo: Stellantis
アルファ ロメオ工場跡地の一部は2015年から2020年にかけて再開発が行われた。そこに出現した磯崎新、ダニエレ・リベスキンド、ザハ・ハディドの設計による超高層ビルは、絶え間なく変化し続けるミラノの象徴となっている。

▲旧アルファ ロメオ工場跡および見本市会場周辺を再開発した「シティ・ライフ」地区。世界の著名建築家による3つの高層ビル(右からイソザキ・タワー、リベスキンド・タワー、ザハ・ハディド・タワー)がそびえたつ。Photo: ©xbrchx / iStock
6.ガレリア : 夢のあとに 〈ボディカラー Galleria Grey〉
「ガレリアGalleria」とはイタリア語で回廊やアーケードを指す。ただし、ミラネーゼの間では、間違いなく大聖堂広場の脇から伸びる「ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のガレリア」のことだ。
1865年に工事が開始されて1867年に開廊されたが、完成は1877年である。名前は統一イタリア王国の初代国王に由来している。ネオ・ルネサンス様式を基調とし、当時としては革新的な鉄とガラスをふんだんに使っていた。
2つの通路が十字型に交差し、中央には八角形の広場と大きなドーム型天井が設けられている。“欧州最古のアーケード式ショッピングモールのひとつ”ともいわれている。イタリアを代表する食前酒のひとつ「カンパリ」が最初に広まった場所でもある。

▲ミラノ大聖堂広場に面した「ヴィットリオ・エマヌエーレII世のガレリア」。
そのドームと鉄骨は1943年8月の空襲によって壊滅的な被害を受けた。そして再建は戦後1955年まで待たなければならなかった。精魂を込めた修復が続けられた結果、現在では歴史的カフェ、書店、高級ブランド、レストランなどが並び、ミラノを代表する名所のひとつになっている。

▲ガレリア入口の左手には、カンパリ社のサテライト・カフェ「カンパリーノ」がある。
そのガレリアと切っても切り離せない施設といえばスカラ座歌劇場だ。1778年のこけら落とし公演では、映画『アマデウス』でモーツァルトの宿敵として描かれたアントニオ・サリエリがみずから作曲したオペラを指揮した。後年にはジャコモ・プッチーニの『蝶々夫人』や『トゥーランドット』の初演も行われた。
スカラ座のシーズンは毎年、ミラノの守護聖人・聖アンブロジウスの日である12月7日に始まる。その時期、終演後にガレリアを通り抜けて大聖堂広場に出ると、ロンバルディア地方名物ともいえる濃霧に包まれている日がたびたびある。あたかも歌劇=夢から現実へのタイムトンネルの中にいるような瞬間だ。アルファ ロメオ ジュニアの「ガレリア グレー」は、その幻想的な情景を思い起こさせる。

▲夜間はライトアップによって、より幻想的な姿を見せるガレリア(左)と大聖堂(右)。
ひとつの街でありながら、エリアによって、クラシカルにモダンにその表情と印象を変えるミラノ。日本に導入されるアルファ ロメオ ジュニアのカラーパレットには、どの色が並ぶのだうか。今から興味深いではないか。
Text: | 大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA |
Photo: | 大矢麻里 Mari OYA, Akio Lorenzo OYA, Stellantis |
Coordination: | Mari OYA |