2022.5.26
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イタリア人リストウォッチ・デザイナー、ジュリアーノ・マッツォーリ氏。彼は、メカニカルツールや自動車パーツをデザインに反映させることで、時計界の注目を浴び続けてきた。ラジオや雑誌をはじめ、自動車メディアでもおなじみのイタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏が、そのマッツォーリ氏にインタビュー。若き日の初代ジュリアに始まり、76歳になった今日でもアルファ 156でサーキットを駆ける彼の、アルファ ロメオへの熱き思いを聞いた。

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▲ジュリアーノ・マッツォーリ氏

ツールをステーショナリーに、エアゲージを時計に

フィレンツェ郊外にあるジュリアーノ・マッツォーリ氏のオフィスに招き入れられた途端、真っ先に目に飛び込むのは、壁面に飾られた何点もの写真パネルだ。そこにはアルファスッドがサーキットを疾駆する姿が映っている。いずれもパイロットは、若き日の本人である。

ジュリアーノ・マッツォーリ氏は1946年、トスカーナ中部タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ペーザに生まれた。社会人としての一歩は、父親が営む印刷工房だった。やがて1970年代に入り、グラフィック・デザイナーとして持ち前のセンスでフィレンツェのファッションやファニチャー業界のカタログを手掛けると、それは次第に高く評価されるようになった。

続いて彼が挑戦したのは、ステーショナリーだった。1997年にダイアリー『スティフレックス』をリリース。ハードカバーの一部に折り目を入れてめくりやすくしたアイディアは人気を博し、2002年から今日まで、20年にわたりMoMA(ニューヨーク近代美術館)のショップでも販売されている。

1999年にはライティング・ギア『オフィチーナ』を発表する。ナット、エンドミルといったメカニカル・ツールのイメージを筆記具の軸&キャップに反映したものだった。

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▲『オフィチーナ』は、メカニカル・ツールのイメージを反映した筆記具シリーズ。

時計界にデビューしたのは2004年のことだった。その世界では新参のマッツォーリ氏が最初にモティーフに選んだのは、自動車のエアゲージ、つまり空気圧計だった。イタリア語でそれを示す『マノメトロ』と名付けられたリストウォッチは、オランダの時計専門誌が選ぶ2009年の『ウォッチ・オブ・ザ・イヤー』に輝いた。
その後もタコメーターやクラッチプレートなど、さまざまな自動車パーツにインスピレーションを得たタイムピースを放ち、話題をさらった。

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▲タイヤ用エアゲージの盤面から着想を得た『マノメトロ』は、マッツォーリを一躍有名にした。オートマティック・ムーブメントはスイス製ETAを使用。

このシリーズのおかげで、マッツォーリ氏には俳優ポール・ニューマン氏をはじめとする自動車を愛する世界のセレブリティたちとの交流も生まれた。最近では、誰もが知る某ハリウッド俳優からオーダーを受け、アカデミー賞を受賞した主演作の題名をケースに刻んだ一品制作も実現した。

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▲マッツォーリ氏はリストウォッチを通じ、自動車を愛好するセレブリティたちと友情を築いてきた。ボール・ニューマン氏とは、彼が生前尽力していたチャリティに、オリジナルデザインのウォッチを提供した。

アルファスッド1台で“二刀流”

マッツォーリ氏は、熱烈なアルファ ロメオのファン、つまりアルフィスタとしても知られてきた。その馴れ初めは?
「最初はジュリアでした。次に乗ったデュエットは、まさに映画『卒業』の時代でしたね。1750GTも手に入れました。実は、その後ドイツ製スポーツカー2台を乗り継ぎました。素晴らしい車でしたが、アルファ ロメオと同じ興奮を味わうことはできませんでした」

やがて彼は、コンペティションの世界に惹かれていった。
アルファ ロメオ GTAでサーキットを戦うことが夢だった彼は、フィレンツェの『SCARアウトストラーダ』に足繁く通うようになる。1960年代から80年代まで存在した、伝説のアルファ ロメオ公認チューナー&レーシングチームである。
「昼休みの1時間に訪れては、仲間たちと時間を過ごしたものです。その縁で、私はGTA1300で2回レースに出場するチャンスを得ました」

勢いに乗ったマッツォーリ氏は、友人数名とともに自身のチーム『カッシアコルセ』を結成した。1970年代半ばのことだった。
「当時、トスカーナをはじめイタリア各州では、数多くのラリーが開催されていました。私と仲間は興味を抱き、最適なマシンを探し始めました」

そうした彼らのもとに飛び込んできたのは、隣県のアルファ ロメオ販売店が、プライベート・ドライバーが好成績を出したアルファスッドを売却するという知らせだった。
「サーキットにも使え、かつ僅かなモディファイだけでラリーにも使える。そう考えた私は迷わず、そのアルファスッドを譲ってもらい、翌日さっそくレースに出場しました」
その後もジェントルマン・ドライバーとしてサーキット、ラリー双方で好成績を収め、アルファ ロメオ本社からもプライベートチームに対する表彰を2年連続で受けた。
サーキットとラリーを1台で戦えた、のどかな時代を彷彿とさせる話だ。同時にアルファスッドの、普及モデルには似つかわしくない高いポテンシャルも感じさせる。

彼の主戦場は、ワンメイク・レース『トロフェオ・アルファスッド(アルファスッド・トロフィー)』だった。
実は、迷いもあったという。
「仮にトロフェオで戦うことを断念し、ラリー専用と割り切ってセッティングを行い、エンジンをチューンして30〜40馬力アップしていればグループ2での優勝も夢でなかったかもしれません」
しかし、サーキットへの思いを絶ち難く、それは行わなかった。
「私の戦歴で最高は2位にとどまりました。それでも高さ1メートルもあるトロフィーを受け取ることができたのは良い思い出です」と、マッツォーリ氏は回想する。

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▲アルファスッドを駆る若き日のマッツォーリ氏。中部ウンブリア州マッジョーネ・サーキットで。

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▲同じ車両でラリーにも果敢に参戦した。

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▲未舗装路を疾走中。住民のものか観戦者のものか不明だが、右端にはアルフェッタが佇んでいる。

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▲その後ボディカラーを変更、ブルーにした。フロントに記された『グラフィケ・ヴァルペサーナ』とは、当時の彼のオフィス名。

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▲当時のアルファ ロメオ本社からもたびたび表彰を受けた。

8C コンペティツィオーネが2台!

マッツォーリ氏は、今日でも数々のアルファ ロメオを、オフィスに隣接した巨大ガレージに所有する。以下がその錚々たるラインナップだ。

・アルファスッド 競技仕様3台
・1300グループ2
・1500 クアドリフォリオ・ヴェルデ・グループ2
・ジュリア GTAm レプリカ
・ジュリア GTA1600
・156 GTAコンペティション仕様(V6 3.2リッター24バルブエンジン)
・8C コンペティツィオーネ 2台

10 イタリア人時計デザイナーが語る、アルファ ロメオへの想い
▲ガレージで。8C コンペティツィオーネ2台、そしてジュリアGTAmレプリカと。

かくも熱いアルファ ロメオ愛を抱く彼である。2007年の8C コンペティツィオーネ発表に合わせ、ブランドからリストウォッチのデザインと製作を依頼されたときは大きな喜びに包まれたという。

「ダイヤルは実車のレブカウンターをモチーフにしました。本数も8C コンペティツィオーネの生産台数と同じ500本限定とし、裏ぶたにはナンバーを刻印しました」
「このリミテッド・エディションでは、自動車の歴史を創ってきたアルファ ロメオと、最も美しく最高の品を製作できたことを誇りに思っています」

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▲アルファ ロメオ8C コンペティツィオーネのイメージを反映した『コンタジーリ8CポリッシュドDLC』。1本の針が270°回転しながら、時および分を表示する。

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▲『コンタジーリ8CポリッシュドDLC』の特製ケース。

上述のリストでわかるように、彼は8C コンペティツィオーネを2台所有している。
「まずは自分の生年と同じNo.46を入手しました」

2台目を手に入れたきっかけは?
「私のリストウォッチを発表すべく、2008年東京モーターショーにアルファ ロメオの幹部と訪問したときでした。その時点で8C コンペティツィオーネの受注は、400番台から最終の500までが割り当てられていました。そのリストに(再び生年の46を含んだ)461の数字を見た途端、サインしてしまったのです」

そこまで8C コンペティツィオーネに惚れ込む理由を聞くと、マッツォーリ氏は「誰もがたちまち魅了されることです」と答えた。
それを証明するように、リストウォッチとスーパーカーを結びつけたコンクールで、並み居る世界の著名ブランドを抑えて、アルファ ロメオ8Cと彼がデザインしたリミテッド・エディションは、一般来場者の圧倒的な支持を得て最優秀賞を獲得した。
ただし、困ってしまうこともあるという。
「8C コンペティツィオーネは外出先でパークした途端、今でもたちまち人に取り囲まれてしまうのです!」

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▲現在マッツォーリ氏がサーキット走行を楽しんでいるアルファ156 GTAコンペティション仕様。

40年前の思い出が走り出す

「クリエイティブな気分にあれば、何でも起こりうるし、描こうとしているものがあれば、突然インスピレーションが湧いてきます」
そう語るマッツォーリ氏のライティング・ギアやリストウォッチのアイディアは、スタジオではなくアルファ ロメオのあるガレージで誕生したという。
「ガレージには私個人の思い出が数多く詰まっています。そこでは多くの美に感動してきました」
ツールやパーツのもつ機能美が、彼を魅了してきたという。
「私にとってガレージは、ウフィツィ美術館(イタリア・フィレンツェにある美術館)を訪問するに値する感動なのです」
そうしたガレージで、アルファ ロメオのもつ力とは?何かを聞くと、
「気骨、素朴さ、そしてイタリアらしさです。それらが怒涛のごとくインスピレーションを与えてくれるのです」と即座に答えてくれた。

そのマッツォーリ氏に2021年、思いがけない知らせが舞い込んだ。若き日にサーキットを駆けた1976年式アルファスッドの実車が南部シチリアに現存するという情報だった。
40年前の1982年に売却したオーナーの家のガレージで、惰眠をむさぼっていることが判明したのだ。
マッツォーリ氏は早速パレルモに飛んだ。シャシーナンバーを照合するまで、信じられなかったという。
彼はそれを譲ってもらい、現在はフィレンツェ郊外の熟練工とともに丹念なレストア作業を続けている。
「ボディカラーはもちろん、チーム時代のものを再現しますよ」とマッツォーリ氏は、嬉しそうに話す。
彼の思い出を詰め込んだ“動くアルバム”は、まもなくサーキットをふたたび走り始める。

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▲自身が着用するレーシングスーツのデザインにも細かいオーダーを出す。

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▲76歳を迎える今日も、旧友たちとサーキット走行を楽しむ。

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▲40年ぶりに手元に帰ってきたアルファスッドのレストアにあたっては、可能な限りオリジナルパーツを使用するのが目標だ。

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▲レストア完了を待ちきれない!トロフェオ・アルファスッド時代のブルゾンを羽織って。

Model

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Text: 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA
Photo: 大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/Giuliano Mazzuoli

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