2020.1.9
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第1回 アルファ ロメオにはストーリーがいっぱい。エンブレムのお話 Timeline, Speed and Beauty.

※『ENGINE Web』に掲載されている内容を一部改変して転載したものです。

電話でも、LINEでも、メールでも返ってくるのは、アルファ ロメオのことばかり。松本 葉さんはいつも饒舌だけれど、いつにもましてそうなのだ。あ、これは恋だ。恋しているから、何もかも知りたくなるんだ。ならば、ぜんぶ話してもらいましょう、思いのたけを。

01_Tipo33ストラダーレ-1200x800 新連載/松本 葉の『アルファ ロメオに恋してる』
▲アウトデルタの傑作、Tipo33ストラダーレ

「ミラノ派になったわけ」

長い間、トリノ・ファンを公言してきた。北イタリアに位置するトリノは、フィアットの城下町でありカロッツェリア誕生の地、かつて欧州自動車製作のメッカとして栄えたところ。今もここには自動車づくりの匂いが漂い強く惹かれる。通りの名前もジョヴァンニ・アニエッリ、ヴィンツェンツォ・ランチアから、今年設立70年を迎えたアバルト創設者、カルロ・アバルトまで自動車人の名前を用いたものがたくさんあって、散歩中に石のプレートに記された通りの名前を見るたび、ああ、ここはクルマの街なのだと実感する。

トリノにいるといつも自動車を感ずる。それで魅せられてきたが、1年ほど前、自分の心情に変化が起きた。ことの始まりはイタリアで刊行された『AUTODELTA』という本に出合ったこと。アウトデルタはアルファ ロメオのレース部門を担ったレーシング・ファクトリー、F1やDTMでの活躍をご記憶の方もおられるだろう。60年代初頭、量産車に比重を置くためにレーシング・マシーンの開発が手薄になったアルファ ロメオ社はジュリアTZの開発をエンジニア、カルロ・キティに任せた。これを受けてカルロが仲間とともに立ち上げたのである。

アウトデルタには大小様々なドラマがぎゅう詰めだ、それをこの本に教えられた。例えばデルタという社名。エンジンを製作したボローニャ、アセンブリーしたウーディネ(イタリア北東部)、納品先のミラノ、この三地を線で結ぶと三角になることからデルタと名づけられた。人間の複雑さ、野心、夢が時代を背景にして充満していることにも魅せられる。これまで触れたことのなかった紐を引っ張るように夢中でアウトデルタ・ストーリーを辿ったが、辿った先に現れたのは、アルファ ロメオである。えっ、アルファ ロメオの物語ってこんなに面白かったの? 仰天した。この日以来、ミラノと同義語であるアルファ ロメオに取り憑かれてしまった。

「ひらめきはある朝、突然に」

アルファ ロメオほど人間味溢れた自動車メーカーが他にあるだろうか。エンジニア、デザイナー、ドライバー、経営者、いずれも個性派揃い。天才と呼ぶにふさわしい、強烈な個性を持った人々の足跡がアルファ ロメオのクルマたちには刻印されている。クルマだけではない。見たものの目に強い印象を残す紋章や、高性能グレード名、クアドリフォリオの誕生秘話も面白い。興味深いのは双方とも始まりは“偶然”であること。ウンウン、机の前で唸って出てきたものではない。ここもステキだ。

創業の年、1910年に生み出されたアルファ ロメオのエンブレムは、創設時のアルファ ロメオを牽引したエンジニア、ジュゼッペ・メロージの部下、ロマーノ・カッターネオが原案を作った。
上司からエンブレムのアイデアを求められた彼はある朝、出勤途中の停車場で前方にはためく旗を見る。トラムの停車場はミラノ公を輩出したヴィスコンティ家の居城の前にあって、そこで同家の旗が揺れていたのだ。旗に描かれていたのはヴィスコンティ家の家紋。ビッショーネと呼ばれる人を飲み込む蛇だ。アルファ ロメオはミラノ、ミラノ抜きに語ることはできない。であれば、エンブレムだってミラノと関わりのあるものを。「ビッショーネを入れ込みましょう」、カッターネオはこう進言したらしい。部下のアイデアを受けて上司は、さらに“ミラノ”を入れ込もうと考える。街の紋章にある赤十字。これを左に、右にビッショーネを配置、さらに両サイドにイタリア王国、サヴォイア家の家紋の結び目を入れて完成した。文字のゴールド、ビッショーネの下のブルーの色を決めたのもメロージである。

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▲写真左から:1910年カッターネオのアイデアによるオリジナル。1919年ニコラ・ロメオの同社参加によりROMEOの文字が入る。1925年P2のチャンピオンシップ獲得を祝して縁取りに月桂樹が加わる。1946年共和国国家への移行にともない下地が赤に。

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▲アルファ ロメオ第1号車、24HP

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▲最初にクアドリフォリオが貼られたRLスーパースポーツ

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▲多くの勝利をものにした伝説のマシーン、P2

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▲1939年から’51年まで生産された、6C2500SS

エンブレムはこれまで7回のマイナーチェンジを受けている。最も時代性を感ずるのは1946年から50年まで下地が赤になったことだろうか。イタリアが王政から共和制国家へと変わったことに敬意を表したもの。サヴォイア家の家紋もこの時点で外され、代わりに波線が置かれた。72年に、南イタリアの経済支援を目的にナポリの工場でアルファ・スッドの生産が始まったことを機にミラノの文字がなくなったことも大きな変化だ。他にも目を凝らさなければわからないような、ビッショーネが飲み込む人や王冠の色、形を細かく変えながらモダナイズを受けた。

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▲写真左から:1950年1900シリーズから装着されたもの。1972年ミラノの文字が外される。1982年月桂樹がなくなり文字はゴールドに。2015年〜新生ジュリア誕生に合わせてモダナイズされた現行版

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▲1951年のF1マシーン、158

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▲初めて南イタリアで生産された、アルファスッド

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▲1980年代のアルファ ロメオ(写真上から)、75と164

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▲新生アルファ ロメオを牽引する(写真左から)ステルヴィオとジュリア

アルファ ロメオの紋章はイタリアでは認知度の点でナンバーワンと言われる。静の赤十字と動のビッショーネという意外なコンビのせいではないようだ。カタチは違えどこの2つを組み合わせたマークは家電メーカーでも使われているという。おそらく、アルファ ロメオの紋章はクルマとのカップリングによって、見るものの心に刻まれるのだろう。アルファ ロメオ・ミュージアムの展示方法が語るように、タイムライン(歴史)、スピード(技術)、ビューティ(デザイン)に彩られたクルマたちを、このエンブレムは110年支えている。

制作:ENGINE編集部

Text: 松本葉
Photo: Lorenzo Ardizio/アルファ ロメオ/ENGINE archive

Profile

松本 葉(まつもと・よう)

自動車雑誌「NAVI」の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に、「愛しのティーナ」(新潮社)、「踊るイタリア語 喋るイタリア人」(NHK出版)、「どこにいたってフツウの生活」(二玄社)、「私のトリノ物語」(カーグラフィック社)ほか、「フェラーリエンサイクロペディア」(二玄社)など翻訳を行う。

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