2021.10.20
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イタリア在住のコラムニスト・大矢アキオ氏が、イタリアを代表する自動車ミュージアムのひとつであるトリノ自動車博物館(MAUTO)を訪問。収蔵されているアルファ ロメオのコレクションを鑑賞しながら、トリノとブランドの深い関係を探った。

“最も素晴らしい博物館”にも選定

博物館は自動車都市・トリノ市街を流れるポー川を見おろす丘にある。建物まで続く階段とスロープは、これから車の殿堂に向かう高揚感を、訪れる者に与える。

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▲MAUTOのエントランス。大がかりな改修が行われ、2011年にリニューアル・オープンした

その始まりは第二次世界大戦前の1932年、トリノ自動車クラブ初代会長でFIAT社の設立メンバーの一人でもあったロベルト・ビスカレッティら地元の名士たちが博物館構想を立てたことに遡る。やがてロベルトの子息カルロ・ビスカレッティ・ディ・ルッフィアの尽力により、コレクションはいくつかの場所に移されながら、準備が進められていった。

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▲カルロ・ビスカレッティ・ディ・ルッフィア(1879-1959) (MAUTO提供)

そして地元出身の建築家アメデオ・アルベルティーニの設計によって、現在の建物が1960年に開館した。
翌1961年からポー河岸一帯は、イタリア国家統一100周年を記念した博覧会『イタリア61』の開催地となった。今日でも跡地の公園には、会場内を走っていたモノレールの軌道や元展示館を転用した建物が残り、博覧会を偲ぶことができる。隣接する博物館は、イタリア自動車産業の優秀性を世界に発信する役割を担った。

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▲1960年、開館式の日の写真(MAUTO提供)

その後2007年に休館。建物はコーヒーブランド『ラヴァッツァ』本社の設計で知られるミラノの建築家チーノ・ズッキによってリニューアルが施された。いっぽう館内の空間演出は、同じトリノにある映画博物館の内装デザインで有名なスイスのミュージアム・デザイナー、フランソワ・コンフィーノによってモダンに蘇った。さらに正式名『Museo nazionale dell’AUtomobile di TOrino』にちなんだ 愛称『MAUTO』も新たに採用された。

イタリア統一150年の記念年である2011年11月にオープンしたMAUTOの展示面積は20万平方メートルに及ぶ。2013年には英タイムズ紙によって“世界で最も素晴らしい博物館50”に選ばれている。2018年から館長は、自動車メーカーの広報部門で長いキャリアをもつマリエッラ・メンゴッツィが務めている。

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▲イタリア統一150年に合わせてリニューアル・オープンした(MAUTO提供)

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▲展示スペースには、エスカレーターを登ってアプローチする。左奥が企画展示室(MAUTO提供)

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▲マリエッラ・メンゴッツィ館長

長年同館を知る筆者の印象を述べれば、改装前は闇雲に世界の自動車を網羅しようとしたばかりに、いささかまとまりの無い展示だった。だが、リニューアル後はより社会・人と車との関わりに焦点が当てられたと同時に、よりエンターテイメント性が強い展示に生まれ変わった。
実際、収蔵車両の多くは時代背景を反映したジオラマの中に置かれている。たとえばイタリアが戦後経済成長に沸いた時代の車はビーチでのピクニック用小道具に囲まれ、東西冷戦時代の東ドイツ車はベルリンの国境検問所を模したセットとともに、といった具合である。
近年筆者が訪れるたび家族連れや修学旅行の団体を頻繁に見かけるのは、そうしたインスタレーションが好評である証だろう。

その展示車たち

MAUTOには世界80の国と地域の約200台が収蔵されている。うち展示されているのは約150台である。
アルファ ロメオゆかりの車両は、順路のかなり初めに現れる。1902年の『ダラック9.5HP』だ。フランスを起源とするこの企業は、今日でいうところの多国籍企業の走りだった。1906年にナポリにイタリア工場を設立。続いてミラノにも工場を開設する。後年その工場を継承するかたちで1910年に設立されたのが、他でもないA.L.F.A. (Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)、すなわちアルファ ロメオの起源だ。

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▲自動車草創期の工場を模したセットに置かれた1902年ダラック9.5HP

1926年『アルファ ロメオ RLSS』は、アルミニウムのフロントフードと、観る者にボートを想起させるマホガニー製のテールをもつ。この車はアルファ ロメオからシャシー状態でアメリカ人オーナーに引き渡され、ロングアイランドのコーチビルダーによって架装された。アルファ ロメオが早くから大西洋の向こうのエンスージアストの心を掴んでいたことを窺わせる。

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▲アメリカのコーチワーカーが手掛けたボディをもつ1926年アルファ ロメオRLSS

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▲1926年アルファ ロメオ RLSS

次にはエンジンの発達史が展開されている部屋を覗いてみよう。そこには、1929年『アルファ ロメオ6C 1500ミッレミリア スペチアーレ』のシャシーが展示されている。スーパーチャージャー付きツインカムエンジンの6C1500は、名設計者ヴィットリオ・ヤーノによるもので、当時最高の技術水準にあったイタリア車だった。

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▲1929年アルファ ロメオ6C 1500ミッレミリア・スペチアーレのシャシー

順路におけるクライマックスともいえるのは、コンペティション・カーのコレクションだ。
ここにも数々のアルファ ロメオを発見することができる。

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▲1930年アルファ ロメオ MOD.P2

往年のグランプリカーのコレクションは、あたかもスターティング・グリッドのごとくディスプレイされている。

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▲1937年に登場したグランプリカー『アルファ ロメオ Tipo158』は第二次大戦後に『アルファ ロメオ Tipo159』に発展、最終型は425bhpに達した。これはTipo158のボディワークをもちながらTipo159のシャシーをもつ個体

他モデルをリードするかのように展示されているのは、1979年に177でグランプリ・レースに復帰したアルファ ロメオのマシンだ。1981年のサーキットに放った3リッターV12気筒搭載の『Tipo179B』である。

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▲1981年『アルファ ロメオ Tipo179B』

グランプリカー以外にも興味深いコンペティションカーを発見できる。1975年『アルファ ロメオ Tipo33/TT12』は、かつての世界スポーツプロトタイプ選手権用車両である。チューブラーフレーム+FRP製ボディに水平対向12気筒3リッターエンジンを搭載し、8レース中7レースで優勝を遂げた伝説のマシンだ。

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▲1975年『アルファ ロメオ Tipo33 /TT12』(手前)

ITC(世界ツーリングカー選手権)で、ニコラ・ラリーニとF1から転身したアレッサンドロ・ナニーニのコンビがドイツ系マシン勢を相手に闘い、見事アルファ ロメオに栄冠をもたらした1996年『アルファ ロメオ155 V6TI』が置かれている。最高速は300km/h以上に達したという。限りなくロードゴーイング・モデルに近いフォルムのそれが多くの人々の夢をかきたて、結果として新たなアルフィスタを生むきっかけとなったことは、当時を知るイタリア人の話からたびたび聞くところである。
なお、前述したエンジンの部屋には、同車に搭載されていた1996年の『625EV1』エンジンが、オブジェのごとく展示されている。

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▲1996年『アルファ ロメオ 155 V6TI』

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▲1996年『625EV1』エンジン

ファクトリー製以外にも、歴史の断章といえるアルファ ロメオにちなんだレーシングカーがある。1970年『デイデーリ』だ。メカニックであったパオロ・デイデーリが『アルファ ロメオ ジュリエッタ TI』のエンジンを用いて製作したF3用マシーンである。スペック上の最高速は210km/hに達した。参戦は果たせなかったが、アルファ ロメオのモトーレ(エンジン)がもつポテンシャルが、プロたちに注目されていたひとつの証左である。

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▲1970年『デイデーリ』

“トリノでアルファ ロメオ”を鑑賞する理由

ところで、アルファ ロメオといえば、いうまでもなくミラノが発祥である。

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▲1952年『アルファ ロメオ ディスコ ヴォランテ』。ボディは同じくミラノを本拠としていた『カロッツェリア・トゥーリング』の作である

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▲同じくトゥーリングのボディによる1956年『アルファ ロメオ 2600トゥーリング スパイダー』

トリノのMAUTOでそれを鑑賞する最大の意味とは?それを語るには、ボディ製造業者、すなわちカロッツェリアの存在が欠かせない。

前述の1926年『アルファ ロメオRLSS』で記したように、かつて多くの自動車は顧客がシャシーのみ購入して、好みのボディをお気に入りのコーチワーカー、イタリアでいうところのカロッツェリアに依頼するのが常だった。とくに上流階級の車はそうした方式が採られており、当時超高級車だったアルファ ロメオも例外ではなかった。
そうしたなかトリノのカロッツェリアは、アルファ ロメオの顧客にその高性能を表現するにふさわしい流麗なボディを提供した。
いずれもMAUTOにはないが、筆者がイタリアの資料で確認した限り最も古い例は、カロッツェリア、ベルトーネが1933-34年に『アルファ ロメオ6C2300』用の6-7人乗りリムジン・ホディを、『ピニン・ファリーナ』が1931年に『アルファ ロメオ6C1750』用カブリオレを製作している。

かわって第二次世界大戦後、アルファ ロメオが量産メーカーに方向転換すると、ベルトーネはそれをベースにした衝撃的なコンセプトカーを発表する傍らで、量産車のデザインおよび受託生産を手掛け始める。1954年『アルファ ロメオ ジュリエッタ スプリント』は約3万4千台分のボディを生産。1965年まで12年間にわたるロングセラーとなった。

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▲1954年『アルファ ロメオ ジュリエッタ スプリント』

ピニンファリーナも、1955年『アルファ ロメオ ジュリエッタ スパイダー』をデザインするだけでなく、生産を受託している。それはアメリカ市場で大きな成功を獲得した。
同様にピニンファリーナがデザインおよびボディ製造を担当した1966年『アルファ ロメオ 1600スパイダー“デュエット”』は、1967年の映画『卒業』の劇中車となったことから、世界的な知名度を獲得。イタリア車のシンボル的存在となった。
ちなみにこのモデル、MAUTOの解説には面白いエピソードを発見することができる。当時アルファ ロメオは公募で選んだ“デュエット”の名称を発売後わずか1年で車名から省いてしまった。しかし、その後も長く人々の間で愛称として親しまれた、というものだ。

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▲1972年『アルファ ロメオ 1600スパイダー“デュエット”』(手前)

このようにアルファ ロメオはトリノのカロッツェリアが戦前の富裕層向けの受注製作から近代工業に移行する原動力となったのである。

しかしながら、受注生産時代から連綿と継承されてきた彼らの職人技も無視してはならない。その一例がベルトーネからMAUTOに寄贈された1954年の木型である。
『アルファ ロメオ ジュリエッタ スプリント』のプロトタイプ車体製作のために供されたものだ。コンピューターのプロトタイプ支援など無かった時代に、同水準の仕事を達成していたカロッツェリアの高い技術レベルを今も物語る。

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▲ベルトーネによる『アルファ ロメオ ジュリエッタ スプリント』のプロトタイプ製作用木型。1954年

さらに、MAUTOの企画展示室でたびたび開催されてきたカーデザイナー別展覧会でも、トリノのカロッツェリアによる歴代アルファ ロメオのフォーリ・セリエ(一品製作車)が紹介され、話題を呼んできた。

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▲2017年に開催された企画展から。トリノの『スタビリメンティ・ファリーナ』によって一品製作された1947年『アルファ ロメオ 6C 2500Sカブリオレ』。

話は変わるが、イタリアの美術館や絵画館は、中世・ルネッサンスの宗教画や宗教彫刻の宝庫である。そうした作品の人物は、聖書物語や歴史の中で培われてきた服装や小道具=アトリビュートに基づいている。たとえば聖母マリアの青いマント、洗礼者ヨハネの毛皮、聖人ペテロの鍵、といったものである。
そうしたものを守ったうえで、作家独自の解釈を加えてその絵がキリストの人生の何を表しているかを示している。
アルファ ロメオの場合も、盾型(スクデット)グリル、ヴィスコンティ家の紋章とミラノの市章を組み合わせたエンブレム、ドライバーと対峙する数連のメーター、パスタの形状にちなんだカンネッローニ・シートといったアトリビュートのいくつかを選びつつ、デザイナーやカロッツェリアが独自の解釈やセンスを加えて、ブランドを表現しているのがわかってくる。
そうした意味で、MAUTOでアルファ ロメオを接することは、さまざまなカロッツェリアの解釈を知ることでもあり、それは極めてレベルの高い鑑賞法なのだ。同時に今日のアルフィスタは、自身の車と歴代モデルとの共通点を発見するたび、大きな喜びに包まれるのである。

INFORMATION

Museo Nazionale dell’Automobile di Torino

corso Unità d’Italia 40, Torino, ITALIA
開館日・時間 火−日10-19時 月10-14時 (チケット売り場は閉館1時間前まで)
入館料 一般15ユーロ(企画展含む)
トリノ地下鉄Lingotto駅から徒歩約10分
www.museoauto.com

Museo Nazionale dell’Automobile di Torino

Text: 大矢アキオ(Akio Lorenzo OYA)
Photo: 大矢アキオ(Akio Lorenzo OYA)、大矢麻里(Mari OYA)

Profile

大矢アキオ Akio Lorenzo OYA

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で比較芸術学を修める。イタリア中部シエナ在住。NHK語学テキストなど雑誌&web連載に加え、NHK『ラジオ深夜便』には現地レポーターとして長年にわたり出演中。著書・訳書多数。

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