往年の名車『GT1300 Junior』の哲学を継承した、Giulia(ジュリア)とStelvio(ステルヴィオ)の限定車『ジュリア/ステルヴィオ GT Junior』がデビュー。1965年のGT Junior登場から現在までの歴史を振り返るとともに、新たに発売される限定車の魅力について自動車ライター・嶋田智之氏が徹底解説する。
奇跡の経済時代に誕生した歴史的名車『ジュリア GT1300 Junior』
覚えのある人には聞き捨てることができない、知らなかった人にはどこか新鮮なネーミングが冠されたスペシャルエディションが、ジュリアとステルヴィオにラインナップされました。光の加減によって鮮やかに見えたりシックに装いを変えたりする、“リーパリオーカー”という絶妙なカラーリングが施された、その名も『ジュリア/ステルヴィオ GT Junior』。ジュリアが99台、ステルヴィオが40台の限定モデルです。
『GT Junior』の名前がアルファ ロメオの歴史に初めて刻まれたのは、知る限りでは1965年のこと。その2年前にデビューした、ベルトーネ時代のジョルジェット・ジウジアーロがデザインした美しいフォルムが特徴的なジュリアクーペのラインナップに、『GT1300 Junior』が加わったのでした。
その時代のイタリアは、後に“Miracolo economico italiano(奇跡のイタリア経済)”といわれるほどの、高度経済成長の真っ直中。第2次世界大戦で社会的にも経済的にも大きなダメージを受けたイタリアは、その後のアメリカ合衆国が推進した復興援助計画の恩恵、金属製品や機械工業製品の世界的な需要増、ヨーロッパ経済共同体が創設されたことによる投資の増加や輸出の伸びなど様々な好条件を受けつつ、イタリア国民たちの努力もあって、逞しい復興を遂げたのです。都市はどんどん拡大し、高速道路もぐんぐんと延び、クルマや家電製品などの消費もめきめきと増加し、多くの人たちの生活水準も驚くほどに向上しました。1950年から1962年の10年少々でGDPが倍になり、1951年から1971年の20年で国民ひとりあたりの実質所得が約3倍になったといえば、それがどれほどのものだったか想像できるでしょう。
エンターテインメントの世界もそれに比例して活発になり、映画でも数々の名作やヒット作が生まれました。1960年に公開されたフェデリコ・フェリーニの『甘い生活』は、いろいろな意味でこの時期を象徴する作品といえるかも知れません。モータースポーツの世界でもイタリアン・ブランドのクルマたちの活躍が目立つようになり、その中のひとつが初代ジュリエッタやジュリアのセダンでツーリングカー・レースなどを戦っていたアルファ ロメオでした。1963年にジュリアクーペがデビューするとアルファ ロメオはベース車両をそちらに切り換え、その年に正式にレース部門となったカルロ・キティ率いるアウトデルタがマシン開発やチーム運営を担うようになってからの快進撃は、驚異的といえるほどでした。ツーリングカー・レースでもスポーツカー・レースでも、猛威を奮ったといえるほどの勝ち星を獲得したのです。
GT1300 Juniorは、そうした活気溢れる時代に誕生しました。“ジュニア”の名前から連想されるとおり、好景気を背景にスポーティなクルマを手に入れることを目指す若い層の想いに応えるために開発されたモデルで、販売価格とランニングコストを抑えるために、装備類を簡略化して排気量の小さなエンジンを搭載したのです。
樹脂製ダッシュボード、2本スポークのステアリングホイール、薄型のシート、センターコンソールなし、シガーライターなし、ブレーキサーボもなし……と大幅に簡素な仕立て。そして上級モデルのジュリア スプリントGTヴェローチェが積む109PSの1.6リッターに代わって搭載されるのは、ジュリエッタ時代にも使われていた1.3リッター。
と、それだけ聞かされると単なる廉価版のように思われることでしょう。いや、決してそうではなかったのです。装備類を簡素にしたことはそのまま軽量化にも繋がり、車重は90kgも軽い930kgへ。エンジンもジュリエッタ時代そのままではなくチューンナップが行われ、89PSに。意外や上級モデルとくらべてもそれほど見劣りしない、素晴らしくスポーティなアルファ ロメオに仕上がっていたのでした。宣伝文句だった“Una vittoria al giorno, con una vettura per tutti i giorni(普段使いのクルマで1日1回の勝利を)”というのは伊達ではなかったのです。
GT1300 Juniorは、若者だけじゃなく幅広い年齢層に好評を持って受け入れられました。それまでアルファ ロメオに憧れながらもわずかに手が届かなかった人たちにとって、待望の1台だったのかも知れません。その後、上級モデルが排気量を拡大していくのに伴って、1971年、GT1300 JuniorはGT1600 Juniorへと切り替わりました。パワーユニットが、スプリントGT ヴェローチェ用だった109PSの1.6リッターに換装されたのです。1974年にはラインナップから消えていたGT1300 Juniorも復活。1600は1976年まで、1300が1977年まで生産され、それぞれアルフェッタ GT、アルファスッド スプリントに役目を譲ります。
1966年から4年連続でヨーロッパ・ツーリングカー選手権を制したジュリア スプリント GTAにも、Juniorは存在しました。当初はツイン・プラグ化やバルブ系の拡大などで大幅なチューンナップを受けた1.6リッターでスタートしましたが、そのストロークを短くして1.3リッターにしたモデルが1968年に追加されたのです。GTA1300 Junior、と名づけられていました。
GT Juniorの名を持つジュリアクーペは、1300が9万1195台、1600が1万4299台と、10万台を越える販売を記録しています。長年にわたって好評を得ていたジュリアクーペの中で、最もヒットしたシリーズだったといえるでしょう。
大胆不敵な哲学を継承。新たにデビューした『GT Junior』
“GT”こそつきませんが、“ジュニア”の名を持つモデルは他にも存在します。初代スパイダーに1300 Juniorと1600 Junior。初代ジュリアをベースにザガートが独自のボディを与えたスペシャルモデル、1300 Junior ザガートと1600 Junior ザガート。アルファ ロメオのボトムレンジを支えてきたアルファスッド、145、146にもジュニアの名を持つモデルが用意されました。近年ではMiTo Junior、ジュリエッタ スプリント Juniorというモデルもありましたね。いずれもリーズナブルな価格設定で、ジュリアクーペほどではありませんでしたが、シンプルで軽量、アルファ ロメオらしい走りに1点の曇りもなし、というモデルでした。
新たに発表されたジュリアとステルヴィオのGT Juniorはどうでしょう? いずれもベースになっているのは、クアドリフォリオを除けば最もパフォーマンスの高いヴェローチェです。
先述のとおり、リーパリオーカーという、かつてのGT1300 Juniorのひとつのイメージカラーだった黄土色系を現代風にあらためた3層コートのペイントが施され、ルーフやディテールがブラックもしくはダークフィニッシュとなって、引き締まった印象を見せています。ホイールはジュリアが19インチ、ステルヴィオが21インチの新デザインのテレフォンダイヤル型。ジュリアにはサンルーフが、ステルヴィオにはパノラマサンルーフが備わります。細かいところですが、いずれも前席のみならず後席にもシートヒーターが追加されました。
そして、特筆すべきこと。シャシーにも手が入っているのです。サスペンションはDNAシステムとも連動する、ALFATM アクティブサスペンションが備わります。これは最上級のクアドリフォリオの持つシステムとほぼ同じもの、と考えていただいていいでしょう。ゆったり走りたいときにはより快適に、エレガントに。気合いを入れて走りたいときにはよりシャープに、スポーティに。サスペンションの固さや特性が可変するからこそ、両立できるわけです。
さらには機械式のリミテッドスリップデフも持たされています。クアドリフォリオにもリミテッドスリップデフ同様の働きをする仕組みが備わっていますが、そちらは後輪左右のトルク配分をそれぞれ独立して行える機構を持つ電子制御式なので、異なります。現時点の日本仕様ではGT Junior専用。いずれもトラクションとハンドリングを高め、ただでさえ曲がることが楽しいジュリアとステルヴィオのテイストをさらに色濃くしてくれる仕組みです。
新しいGT Juniorは、インプレッシヴなルックスを持ちながら、装備を割愛しない分、シャシーを磨くことでアルファ ロメオらしい走る快感をもう一段階増幅させたモデル、といえるでしょう。価格はジュリアがヴェローチェにプラスすること82万円、ステルヴィオが72万円。高価なペイントとシャシーの特別装備を考えたら、割安感たっぷりというしかありません。自動車ライターとしてぜひとも走らせてみたいけど、導入台数も少ないから機会はないのだろうな、と思うと涙目になりそうな気分です。
※ジュリア/ステルヴィオGT Juniorはご好評につき販売を終了いたしました。
Text: | 嶋田智之 |