2020.5.15
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1950年に始まった、F1世界選手権。2020年には70周年という節目を迎える。2018年からF1への“復帰”を果たしたアルファ ロメオ。しかしF1の歴史はアルファ ロメオと共に始まったと言っても過言ではない。今回、F1の歴史を語る上で欠かせない伝説のドライバーを紹介すると共に、レースと共に歩んできたアルファ ロメオとF1の関係について振り返る。

1950年に始まったF1世界選手権。2020年には70周年を迎えた

2020年、F1は世界選手権として制定されてから、70周年という節目の年を迎える。

このF1は“フォーミュラ1”の略。1946年に制定されたレーシングカーの最高峰カテゴリーである。当初この“F1”でのレースやグランプリは、各国でそれぞれ行なわれていたが、1950年から複数のレースにポイントが割り振られ、年間の総合順位を競うシリーズが立ち上げられることになった。それが、現在の“F1世界選手権”の始まりである。

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▲1950年イギリスGP(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

1年目のF1世界選手権は全7戦。イギリス、シルバーストン・サーキットを皮切りに、モナコ(モナコGP)、インディアナポリス(インディ500)、ブレムガルデン(スイスGP)、スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)、ランス(フランスGP)、モンツァ(イタリアGP)を転戦する形だった。その多くのサーキットで今もグランプリが行なわれているというのは、驚くべきことと言えるだろう。また、今ではインディカーのレースとして開催されているインディ500も、F1世界選手権に名を連ねていた。当時はロジスティクスがまだ整い切っていない時代であったため、欧州とアメリカのチームやドライバーの交流は盛んではなかったが、それでも当時の特徴のひとつと言える。

初戦イギリスGPには、合計23台のマシンがエントリー。5月13日に、4649kmのコース70周でレースが戦われた。

ここで速さを見せたのは、アルファ ロメオ勢だった。アルファ ロメオは同レースに、4台体制でエントリー。ファン-マヌエル・ファンジオジュゼッペ・ファリーナルイジ・ファジオーリレグ・パーネルという超強力な参戦体制となった。

レースはファンジオが終始隊列をリードしていたものの、終盤にマシントラブルが発生しリタイア。代わって首位に立ったファリーナがトップでチェッカーを受け、記念すべきF1世界選手権最初のレースの勝者となった。

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▲1950年のイギリスGPで優勝したジュゼッペ・ファリーナ(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

F1草創期を席巻したアルファ ロメオ。しかしフェラーリが立ちふさがる

その後のグランプリは、ファリーナとファンジオが勝利を分け合った(不出場だったインディ500を除く)。しかし、ファンジオは3勝+3リタイアだったのに対し、ファリーナは3勝+4位1回+7位1回+1リタイア。4レースの有効ポイント制だったこともあり、4位1回分の差が年間ランキングの差を分かつこととなり、ファリーナが初代F1世界選手権王者となった。また、インディ500を除けば、アルファ ロメオがシーズン全レースを制したことになる。

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▲1951年スペインGP ファン-マヌエル・ファンジオ(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

ところで、F1世界選手権が制定される前にも、F1のレースや“グランプリ”は世界各地で開催されていた。アルファ ロメオはそこでも圧倒的な強さを発揮。

“158”と名付けられたマシンが、各レースを席巻した。ただ、1949年のレースが始まる前に活動を休止している。その後、“世界選手権”制定と同時にF1へとカムバックするわけだが、これには、F1の世界選手権化を提案したのが、FIAのイタリア代表を務めていたアントニオ・ブリヴィオ伯爵だったということが大きく影響していたのかもしれない。そして実際に、F1世界選手権1年目には、アルファ ロメオが連戦連勝を重ねたわけだ。

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▲1947年イタリアGP アルファ ロメオ158(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

翌1951年も、アルファ ロメオがシーズン序盤を席巻し、第4戦フランスGPまで連勝を続ける(やはりインディ500を除く)。だが第5戦イギリスGPで、アルファ ロメオとしては初めてF1世界選手権での黒星を喫する。アルファ ロメオを差し置いて勝ったのはフェラーリだった。

フェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリは、かつてアルファ ロメオのドライバー、そしてレーシングチームのマネージャーを務めていた人物。スクーデリア・フェラーリ(現在のフェラーリF1チーム)も、当初はアルファ ロメオのセミワークス・チームだった。この勝利を手にしたエンツォ・フェラーリは、「私は母親を殺してしまった」と語ったという。今ではF1最古参のメーカーであるフェラーリ。しかし当時は、まだ創設されたばかりのメーカーであった。

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▲アルファ ロメオ時代のエンツォ・フェラーリ(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

フェラーリは初勝利から3戦連続勝利を収めたものの、最終戦となった第8戦スペインGPでファンジオがシーズン3勝目を挙げたことで、アルファ ロメオは2年連続のドライバーズタイトルを手にした。

しかしアルファ ロメオはこの年限りでF1から撤退。理由は資金難だったと言われている。その後、アルファの名が大々的にF1の世界に戻ってきたのは1976年。ブラバムにエンジン供給を行なった時だった。そして1979年からワークスチームとしても復活。以前この“Mondo Alfa”でもご紹介した179Cなどを走らせた。

このワークスチームは1985年までF1を戦ったものの満足いく結果を残すことができず、同年限りでまたも撤退。そして2018年、ザウバーのタイトルスポンサーとしてF1へのカムバックを果たし、2019年シーズンからはアルファ ロメオ・レーシングとして世界を転戦している。

F1初代王者ファリーナと、5度の王者に輝いたファンジオ。伝説のふたり

草創期のF1を席巻したアルファ ロメオ。その活躍は、ふたりの伝説的なドライバーの腕によって支えられたと言っても過言ではない。ジュゼッペ・ファリーナと、ファン-マヌエル・ファンジオである。

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▲ジュゼッペ・ファリーナ(画像提供:FCAジャパン株式会社)

ファリーナは1950年のF1王者。つまり、初代のF1王者である。彼はイタリア出身のドライバーで、戦前からレースの世界で活躍していた。そしてF1が世界選手権となってもその活躍は衰えず、初代のF1王者に輝いたのだった。イタリア人のドライバーが、イタリア車を駆って選手権を制したのだ。

ファリーナは1951年シーズンには1勝したものの、ランキング4位。そして同年限りでアルファ ロメオがF1から撤退したことで、フェラーリへと移籍する。F1での通算勝利数は5勝、最後の優勝グランプリは1953年のドイツGPであった。

ただこのドイツGPは、我々日本のF1ファンにとっては、特別なグランプリなのである。このレースを現地で見守った、ひとりの皇族がいらっしゃる。その方こそ、明仁親王……今の上皇陛下である。上皇陛下は当時、昭和天皇の名代としてエリザベス2世の載冠式に出席するために、ヨーロッパを訪問中だった。そしてその合間にこのドイツGPを台覧されたということのようだ。

レースに勝利したファリーナは、表彰台で現上皇陛下からの祝福を受けた。

一方でファンジオも、F1の歴史を語る上で欠かせない人物である。

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▲ファン-マヌエル・ファンジオ(画像提供:FCAジャパン株式会社)

ファンジオは母国アルゼンチン政府の後押しもあり、1948年に訪欧。グランプリへの参戦をスタートさせた。F1世界選手権へと活躍の場を移行させたが、参戦2年目の1951年にタイトルを獲得。以後はマセラティ、メルセデス、フェラーリのドライバーを務め、数々の勝利を手にした。通算勝利数は24。出走回数は51回であり、勝率はなんと4割7分。現役最強のルイス・ハミルトンも、歴代最多勝利記録を持つミハエル・シューマッハーも、その勝率は3割前後……圧倒的なまでの強さと言っていいだろう。

通算のチャンピオン獲得数は5回。2003年にシューマッハーによって塗り替えられるまで、50年近く最多王者記録を誇っていたのだ。

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▲1951年スイスGPのファン-マヌエル・ファンジオ(画像提供:Museo Storico Alfa Romeo)

ファンジオはその強さもさることながら、人格者でもあったという。そして母国アルゼンチンでは英雄。1995年に84歳で亡くなったが、国葬で弔われるほどの存在だった。

彼らは、いずれもF1の歴史を語る上で欠かせないドライバーであると言える。しかし当時のF1に参戦していたドライバーは、いずれも“恐れ知らずのヒーロー”だと言うべきだろう。

1950年代は、今ほど安全への配慮がなされていない時代だった。計算すれば、第1回イギリスGPの予選平均速度は150km/h超え……にもかかわらず、シートベルトもなく、ヘルメットもフルフェイスではなかった。身体も、ほとんどむき出しの状態。重大な事故も多く発生した時代だったが、それでもドライバーたちは果敢に“最速”に挑んでいった。そういう彼らの時代を経て、今の安全性の高まったF1が実現しているのだ。

さて、アルファ ロメオの名がF1に戻ってきて3シーズン目……歴史と伝統を受け継ぐ彼らは、今季どんな活躍を見せるのだろうか?

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▲画像提供:FCAジャパン株式会社

Text: 田中健一(motorsport.com日本版)

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