red-dot-for-new-article2024.5.2
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ALFA ROMEO 33 STRADALE

世界で選ばれた33人だけがオーナーとなることを許された33 ストラダーレ。
同時にその33人の希望にもとづいて、オーナーにとって世界で1台の33 ストラダーレが作り出されていく。その世界で1台をつくりあげるためのオーナーとスタッフのカスタマイズ・ミーティングがメディアに公開された。33人中唯一選ばれた日本人オーナーのカスタマイズ・ミーティングをレポートする。

歴史的傑作を現代に甦らせた33 ストラダーレ そのプロジェクトの全容とは

1967年にデビューしたティーポ33ストラダーレの復活が発表されたのは2022年秋。アルフィスタのみならずイタリア車を愛する人々、いや、すべての自動車好きの大きな注目を集めるアナウンスだった。

レースシーンを席巻したティーポ33の公道バージョン、ティーポ33ストラダーレは、「スポーツカーの理想」を具現化し現代スポーツカーの規範を作り上げたモデル。同時に自動車史上、「もっとも美しい」とされる1台だ。ジュゼッペ・ブッソとカルロ・キティが開発したレーシングカーのシャシー/エンジンに強く美しいボディを纏わせたのはフランコ・スカリオーネ。自動車作りの鬼才集団が作り上げた傑作である。

マスターピースに現代解釈を与えて甦らせる、これが今回のプロジェクトの主旨。車名はシンプルに33ストラダーレとされた。最初のアナウンスから1年後にはさらに具体的な内容が車両写真や動画と共に明らかにされたが、パワートレインやオリジナルにそっくりなプロポーションなど車両の詳細はもちろん、同社が半世紀ぶりに超ハイプライスの少数生産車、いわゆる「Few- Off」の世界に戻ってくる点も大きなポイントである。この復活がフューオフ第一弾とされたことで瞬く間に次はデュエットだ、いやディスコヴォランテらしいと噂が広まった。

240430_33stradale_owner_001 日本人オーナーのための 33 ストラダーレ カスタマイズ・ミーティングをレポート

生産台数は車名にちなんで33台(すでにすべて完売)。それぞれを「世界に1台だけのモデル」に仕立てることができる。パーソナライズが行われるのは「ボッテガ(工房)」。ここでオーナーとスタッフが細かい仕様の摺り寄せを行う。ボディカラーや内装などの細かな要望がまとまるとデザインやヘリテージ、レースなど8部門の責任者からなる「33コミタート(委員会)」に伝えられ、歴史、伝統、ブランドイメージに沿ったものであるか、CEOを委員長とするこのチームのチェックを受けていよいよ開発部門に発注されるそうだ。製作はトゥーリング・スーパーレッジェーラ、ハンドメイドである。

ボッテガやコミタートとネーミングするあたり、アルファ ロメオ的だ。ディテールやプロセスを楽しませてくれる。オーナーとのミーティングが行われるのはデザインスタジオのあるトリノではなくアレーゼ、オリジナル誕生の地に敬意が払われた。さて、この歴史的な場所で果たしてオーナーはどんな要望を出すのだろう、作り手からはどんなアドバイスがなされるのか。この点についても同社は”サプライズ”を用意した。

近年多くのメーカーが高額少数生産車を手がけるものの、オーナー像についてはトップシークレットを通すところがほとんどだ。そんななか同社はプロジェクトの透明性を高めるためにオーナーとスタッフのカスタマイズ・ミーティングをメディアに公開することにしたのである。カスタマイズの様子を見てくださいというわけだ。オーナー代表として”顔出し”を頼んだのはアメリカ人と日本人。ブランドのグローバル性を強調するためにこういうセレクトになったようだ。

今回、33人中唯一の日本人オーナーとなる幸せ者は内野徳昭さん。ジュリアGTAを日常の足に、気分を変える時は4Cスパイダーで通勤する内野さんにとって、クルマは「走らせるもの」。軽量スポーツカーが好きで、それで25台目!のクルマに33ストラダーレを選んだという。高飛車なところの全くない穏やかで自然体の人柄、クルマへのパッションは最大級のエンスージアストはどんなふうにカスタマイズするのだろう。

240430_33stradale_owner_002 日本人オーナーのための 33 ストラダーレ カスタマイズ・ミーティングをレポート

▲33 ストラダーレに相応しいオーナーとして日本で唯一選ばれた 内野徳昭さん

唯一の日本人オーナーが望んだ33 ストラダーレ

仕様は基本的にパワートレイン(ICE/EV)、ボディカラー(赤が2種類とブルー)、内装(トリブート/アルファコルセ)、ノーズの盾(伝統型/立体構成)、三角エンブレム(クアドリフォリオ/アウトデルタ)から選ぶことができる。いや、”選ぶことができる”と事前に聞かされていたが、実際のところはこのセレクトはほんの一部に過ぎない、これをカスタマイズが始まってすぐ実感した。例えば提示された3種類のボディカラーはシンボル的なもの、セレクトは無限と言えるし、ホイールやキャリパーの色、車体に多用されるカーボンパーツの仕上げやディテールの色も自由に選ぶことができる。エンブレムの色のトーンも同様だ。内装もシートからステッチの色、入る文字、入れる位置と決めるべきことは実にたくさん。ひとつひとつ決めてはそれをコンピュータに反映させスクリーンで眺めては訂正を繰り返す。とても根気のいる作業ながら、微妙な変化で全体の印象ががらりと変わるから面白い。

もうひとつ、印象的だったのはチェントロ・スティーレのチーフデザイナー、A.メソネロと、4C、ジュリアやステルビオを手がけたA.マッコリーニが参加したこと。33ストラダーレのふたりの生みの親、最高のアドバイザーとダイレクトに摺り寄せしたのだ。33ストラダーレでは同社では初めて備品も作られたが、車内のシート下に置く手持ち付き大型書類入れとガーメントバッグ、トランクにぴったりおさまる専用ボストン、いずれも彼らがデザインした。シート等と同じくポルトローナ・フラウ製の上質なレザーが用いられたもので、ここに車名やブランド名のみならずオーナーの名前を入れることも可能だ。

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▲33 ストラダーレのためにアルファ ロメオのトップカーデザイナーたちがデザインしたバッグ類

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▲アルファ ロメオ147からジュリア、ステルヴィオまで、そのデザインを手がけたアレッサンドロ・マッコリーニ氏(左)

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▲アルファ ロメオのチーフデザイナー  アレハンドロ・メソネロ=ロマノス氏(左)も参加し、自ら「内野カスタマイズ」をつくりあげていく。

「内野カスタマイズ」のなかでオーナーにとって、もっとも難しかったのはボディカラーだと思う。内野さんが望んだのは、シンボルカラーのひとつ、ブルー・レアーレをもう少し明るくした色。センシティブなメタリックだ。陽光のもとでどんなカラーになるのか、ここも難しい点で、微妙な調整を繰り返したものの、この日は最終決定に至らず後日サンプルを用意して再検討することになった。他についてはわりにすんなり決まったように感じられる。パワートレインはICE、内装はトリブート、エンブレムはクアドリフォリオ、ロゴは3Dではなく伝統型、キャリパーは赤。ホイールはダークな感じのカラーとなった。ほかにペンディングになったのはシートベルトの色。新オーナーは赤を望んだが、基本を黒とするベルトについては安全基準の問題があるため、業者との協議が必要でこの日は見送りとなった。

240430_33stradale_owner_006 日本人オーナーのための 33 ストラダーレ カスタマイズ・ミーティングをレポート

一通りの作業がおわると、チーフデザイナーが内野さんに尋ねた。「33ではどんな使い方をなさいますか?」。日常使いは現実的ではないので、と前置きした内野さんがこう答える。「週末のゴルフに乗って行きたいです。(ゴルフ場へは)ワインディングロードを通るので楽しいかなと」。ここでアルファ側がざわついた。質問したチーフデザイナーが焦り顔で言う。「あのぉ、実はですねぇ、33にゴルフバッグを詰めるスペースはないんですが」。内野さん、にっこり。「知ってますよ。ゴルフバッグは(ゴルフ)クラブに置いているので問題ありません」。部屋全体の空気がストンと和んだ。

初めて立ち会った仕様決めの現場はとても楽しいものだった。どんなセレクトの時でも、自分ならどうするだろうとつい思ってしまう。夢見る一瞬。後からチーフデザイナーにこの話をしたら、ボクも同じだと言うから笑ってしまった。パワートレインはICE、ボディカラーは淡いライトシルバーの柔らかなメタリックがいいとチーフデザイナーは思っているそうだ。三角エンブレムはクアドリフォリオと言う。いやいや、アウトデルタでしょう。

日本にたった1台の33ストラダーレはもうすぐ開発のステップに入る。仕上がりは来年の春先だろうか。幸せのお裾分けをもらう気持ちで完成を我が事のように楽しみにしている。

Text: 松本葉
Photo: アルファ ロメオ

Profile

松本 葉(まつもと・よう)

自動車雑誌「NAVI」の編集者、カーグラフィックTVのキャスターを経て1990年、トリノに渡り、その後2000年より南仏在住。自動車雑誌を中心に執筆を続ける。著書に、「愛しのティーナ」(新潮社)、「踊るイタリア語 喋るイタリア人」(NHK出版)、「どこにいたってフツウの生活」(二玄社)、「私のトリノ物語」(カーグラフィック社)ほか、「フェラーリエンサイクロペディア」(二玄社)など翻訳を行う。

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